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アニメ『好きでも嫌いなあまのじゃく』感想|後悔しないために“伝える”大切さ

はじめに


本作は、『泣きたい私は猫をかぶる』で監督デビューを果たした柴山智隆による、2作目の長編監督作品です。アニメーション制作は前作に引き続き、『ペンギン・ハイウェイ』『雨を告げる漂流団地』などで知られるスタジオコロリドが担当しています。

人に嫌われることを恐れ、自分の気持ちをうまく言えない高校生・柊と、鬼の少女・ツムギとの出会いをきっかけに物語は動き出します。
真夏の山形を舞台に、人間と鬼、それぞれの世界を行き来しながら、「本音を伝えること」や「誰かと向き合うこと」の大切さが描かれていきます。

ファンタジー要素を軸にしながらも、「言いたいのに言えない気持ち」という普遍的なテーマを丁寧に描いた本作は、2024年5月24日にNetflixで世界独占配信されました。

この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。

現代の子どもを象徴する主人公・柊


冒頭の学校シーンでは、次のような場面が描かれます。

  • 友達に声をかけようとして、結局やめてしまう

  • 宿題をやっていない友達に、自分のノートを貸す

  • 美術の授業で、先生に決められた組み合わせをそのまま受け入れる

  • 掃除当番を押し付けられる

  • 偽彼氏役を頼まれる

こうしたお人好しなエピソードが連続することで、柊がただ優しい子というより、自分の気持ちをその場で言えない人物であることが、自然に伝わってきます。

この点については、柴山監督のインタビューでも近いことが語られています。

自分の気持ちを伝えないことが当たり前になってる――そのことに気付いていない子たちが多いんじゃないかって話し合いました。自分が10代だった当時もいろいろうまくいかなかったので、それを思い出しながら重ねるところもありました。
出典:映画.com 柴山智隆監督インタビュー

このコメントからも、柊はたまたま気弱な少年として置かれているのではなく、現代の10代の子どもたちを映す存在として描かれていることがわかります。

本作のカギとなる和歌


序盤、国語の授業で扱われる和歌は、本作においてかなり重要な意味を持っています。
授業では「露と答へて消えなましものを」という句が取り上げられ、教師が「この最後の部分は後悔の表現だ」と説明します。この和歌は、『伊勢物語』第六段「芥川」に出てくる一節です。

「芥川」は、男が女を連れ出して逃避行する話です。女の問いかけに応える余裕がない男。やがて夜をしのぐうちに女は鬼に食べられてしまい、残された男が後悔するという内容になっています。

物語の構成としては、「言えなかったことが後悔になる」という古典的なモデルを先に提示し、その直後に柊の“言えない性格”を具体例として積み上げていく流れです。だからこそ、和歌の状況と柊の姿が重なって見えてきます。

この和歌は、単なる授業シーンの小道具ではありません。作品全体の主題と骨格を、最初に言語化している場面だと言えます。

「思いを伝える」というテーマ


柊の体から湧き出る子鬼について、ツムギは「自分の思ってることを隠しちゃう人間から出てくるの」と説明します。さらに「子鬼がいっぱい出る人はいずれ鬼になる」とも続けており、本作が「思っていることを言わないと鬼になる」という世界観を持っていることがわかります。

これは、「夜に口笛を吹くと蛇が出る」のような、子どもに良くない行いを伝えるための迷信的な比喩から着想を得ているのかもしれません。思っていることを隠し続けるのは、あまり健やかなことではない。そんなメッセージが、少しファンタジー寄りの形で表現されています。

また、旅館の亭主・山下が「タイミングを逃すと伝えられなくなることってよくあるんだよ」と、柊に両親へ連絡するよう諭す印象的な場面もあります。

気持ちを言葉で伝えるのが苦手だったり、頑張ってるのになんか上手くいかないと感じてる方にも、映画を観て少しでも元気になっていただけたら嬉しいです。
出典:『好きでも嫌いなあまのじゃく』公式サイト

こうした描写や柴山監督のコメントからもわかるように、本作の「思いを伝える」というテーマは、かなりはっきりと描かれています

ユキノカミとは何か


宗教・民族・文化の視点で探した限り、ユキノカミのモデルとなる特定のモチーフは見つかりませんでした。そのため、ユキノカミは複数の要素を組み合わせた、オリジナルの存在である可能性が高そうです。

前述の通り、本作における和歌や鬼は、それぞれ「思いを伝える」というテーマを表す役割を担っています。ユキノカミもまた、本作のテーマを象徴する舞台装置として、同じメッセージを別の角度から表現しているのかもしれません。

和歌は普遍的な価値基準と物語の骨格、鬼は世界観、ユキノカミは思いを抑圧する心理的な描写。一貫したテーマを描き分けながら、作品に立体感を持たせているように感じられます。

ツムギの母・しおんも「娘と一緒にいたい」という思いを口にしないまま、里のために人柱となっています。この点から見ても、ユキノカミを“抑え込まれた思い”の象徴として解釈することができそうです。

冒頭シーンの伏線


柊が雪原で意識を失いかけ、足音がして振り返ると少女の姿がある。冒頭シーンの演出はかなり魅力的で、多くの人にとって印象に残る場面だと思います。

はじめは意図のわからない伏線に見えますが、これは「ツムギが柊を見つける」という関係性の予告だと考えられます。

柊は周囲に合わせてばかりで、自分の意思をうまく表現できずにいました。そのまま時間が経てば、雪の中に埋もれていくように、自分という存在も少しずつ隠れてしまう。そこに、感情のままに動くツムギが現れ、柊の閉じた世界をこじ開けていきます。

冒頭の雪原の演出は、本編における2人の関係を、少しメタ的に表したシーンだと解釈できます。

さいごに


序盤の授業シーンで、作品全体のテーマを教材として先に提示する手法は、『君の名は。』をはじめ、比較的ポピュラーなものです。

また、本作における“隠の郷”の演出も、主人公が一度だけ“こちら側ではない世界”に入り、そこで何かを経験して成長する。そして現実世界に戻ってくると、もう同じようにはそこへたどり着けない。そんな、ジブリ作品にも多く見られる古典的な異世界描写に近いものがあります。

加えて、直近で見た『心が叫びたがってるんだ。』とテーマが重なっていたこともあり、本作はどうしても既視感が多く、個性がやや薄く感じられました。

ファンタジーの世界観を重視するなら、王道に寄せるだけでなく、もう少し尖った独自の演出が見たかったところです。逆に、恋愛やメッセージ性を重視するなら、非現実的なトントン拍子に話が進む展開よりも、もう少し泥臭い人間模様を見てみたかった気がします。

参考サイト