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アニメ『心が叫びたがってるんだ。』感想|「伝えること」の尊さ

はじめに


本作は、『あの花』を手掛けた長井龍雪 × 岡田麿里 × 田中将賀による“秩父三部作”の第2作目です。アニメーション制作は、『あの花』と同じくA-1 Pictures(現CloverWorks制作ライン)が担当しています。

過去の出来事をきっかけに、言葉を封印された少女・成瀬順を中心として、心の内をうまく伝えられない高校生たちの交流が描かれます。青春群像劇をベースにしながら、「言葉」をテーマにした繊細な人間ドラマが展開される本作は、2015年9月19日に劇場公開されました。
現在でも、“秩父三部作”を代表する作品のひとつとして高い人気を誇っています。

私自身も公開当時に一度視聴していましたが、約10年ぶりに改めて見返してみました。

この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。

「言葉にして伝える」ということの尊さ


本作のテーマは、とてもシンプルです。

冒頭のプロローグから一貫して、「言いたいのに言えないこと」を抱えた登場人物たちが、不安定な人間関係の中でもがく姿が描かれます。メッセージ性としては、超平和バスターズの4作目『ふれる。』に近い印象もありました。言葉を相手に伝えることには、嬉しさもあれば、痛みもあります。

本作では「言葉」や「伝える」ということがテーマになってはいるが、「何を」ではなく、タイトルにもあるように「叫びたがっている」という欲求そのものが重要なのだと長井は言う。
出典:映画.com 長井龍雪&岡田麿里インタビュー

本作では、気持ちを伝えることで生まれるドラマが丁寧に描かれていて、まずは「伝える」という行為そのものの尊さが伝わってきます。

インタビューではさらに、

「どれだけ言葉を尽くしても伝わらない部分や、逆にモヤモヤしたものが必ず残る。(中略)そのモヤモヤをすくい取っていくと何が見えてくるのか? そうやってキャラクターを掘り下げて、出てくるものが見たかったんです。」
出典:映画.com 長井龍雪&岡田麿里インタビュー

とも語っています。

言葉にしても、すべてがきれいに伝わるわけではない。それでも「伝えたい」「叫びたい」と思ってしまうからこそ、人間関係はややこしくて、どこか愛おしい。本作は、そんな不器用なコミュニケーションの魅力を丁寧に描いた作品だと感じました。

説明的なシーンを並行する構成の上手さ


タイトルが出るまでのプロローグでは、成瀬の幼少期が描かれます。
本作の中心人物である成瀬のパーソナリティと、「言葉を伝える」というテーマ。そして、現代劇をベースにしながらも、少しだけファンタジーが混ざる世界観が自然に提示されていきます。

タイトル明けのシーンでは、地域ふれあい交流会の「ミュージカル」を軸にしつつ、肘を壊した野球部のエース・田崎や、物静かで優しい青年・坂上など、主要キャラクターたちの個性もテンポよく描かれます。

どのシーンも、本来なら説明的になりやすいパートではありますが、複数の要素を並行して見せる演出のおかげで、不思議と退屈しません。情報量は多めなのに、現実感のある描写で地に足がついているからか、すんなり頭に入ってきます。

視聴者を置いていかない演出の工夫


本作は、成瀬・坂上・田崎・仁藤の4人を中心に物語が進んでいきます。
4人それぞれにしっかり個性があり、「好きになれる」「ちょっと苦手かも」と感じるポイントも、人によってかなり分かれそうです。

作中では、

  • 田崎が野球部の後輩に陰口を言われている

  • 交流会当日、学校に現れなかった成瀬をクラスメイトが非難する

  • 成瀬が山の上の城で坂上と仁藤を罵倒する

といったように、主要キャラクターに対しても、第三者の視点がきちんと入ります。

ただ「良い人」として描くのではなく、未熟さや危うさにも自然と目が向く作りになっています。だからこそ、登場人物たちを1つの方向からだけでなく、少し距離を置いて眺められる。視聴者ごとの感情を取りこぼさないように、かなり丁寧にバランスが取られています

ミュージカルの脚本とラストシーンのシンクロ


交流会で上演するミュージカルは、成瀬が「自分の言いたいこと」を形にするために作ったオリジナル脚本です。

序盤では、ラストは次のような結末になる予定でした。

処刑台の上で首をはねられる少女。すると少女の首から言葉があふれ始める。“王子を愛してる”と。

誤解が解けるのは、少女が死んだあと。仁藤はこの結末を『ごんぎつね』になぞらえ、童話のようなバッドエンドだと語ります。
しかし、成瀬は途中で「ラストを変えたい」と言い出します。

処刑を受ける寸前、少女が全てを諦めた瞬間。王子が少女をかばう。王子の説得で、人々は少女を許してくれた。少女と王子、そしてみんな揃ってハッピーエンド。

そんな、真逆とも言える結末です。

最終的には、坂上の提案した「まったく違う2つの歌を同時に歌う」という演出が取り入れられ、ハッピーエンドとバッドエンドが重なり合うラストへと着地します。

さらに、担任・三嶋の「ミュージカルには奇跡がつきもの」という言葉もあり、成瀬の不在によって急遽ヒロイン役を務めていた仁藤と、途中で合流した成瀬の2人でヒロインを演じる形になります。
本来、このミュージカルは「成瀬という1人のヒロイン」の物語でした。しかし結果的には、成瀬と仁藤、2人のヒロインが存在する物語へと変化していきます。

そして、このミュージカルの構造そのものが、本作全体のストーリーともきれいにシンクロしています。

物語序盤では、成瀬と坂上の関係が中心に描かれます。しかし最終的に、2人は結ばれません。一見すると、少し切ないバッドエンドのようにも見えます。その一方で、成瀬と田崎、坂上と仁藤、それぞれの関係性は少しずつ深まっていきます。

つまり本作は、最初に想定されていた「1組の恋愛」の物語から、「2組の関係性」が並行して存在する物語へと変化していったとも解釈できます。

これは、成瀬だけの物語だったミュージカルが、“2人のヒロインによる物語”へ変化していった流れそのものです。ヒロインが2人になり、バッドエンドとハッピーエンドが同時に存在するミュージカル。その構造自体が、本編の人間関係やラストシーンとも重なっています。

“玉子の妖精”の由来と着想


調べた限り、制作陣が「玉子に言葉を詰めて神様に供える」という設定の発案元を直接語った公開資料は見当たりませんでした。

ただ、確認できる事実として、モデルとなった大慈寺にある“玉子モチーフの授与物”は、映画公開後に生まれています

同寺は、秩父を舞台にした2015(平成27)年公開のアニメ映画「心が叫びたがってるんだ。」(通称「ここさけ」)に登場する寺として知られる。映画公開後、作中に登場する卵をモチーフにしたお守りが、参拝者の要望を受け2021年に誕生。
出典:秩父経済新聞 横瀬町「秩父札所10番」大慈寺

大慈寺にはもともと子育て・厄除け・身代わりといったイメージを持つ、丸みのある意匠や信仰的なモチーフがあります。そこに、順の“閉じ込められた言葉”を象徴する玉子のイメージが重なり、作品内の演出へ発展していったと捉えるのがもっとも自然そうです。

「おしゃべり好きな神様」という存在も、現実の寺社信仰をそのまま取り入れたものというより、順の心の問題をわかりやすく可視化するための、作品独自の宗教的ファンタジーとして描かれているように感じます。

さいごに


過去に書いた『ふれる。』の記事で、「この制作陣による劇場アニメの中では『ふれる。』が一番好き」と書きましたが、どうやら訂正が必要そうです…。

2015年、高校生だった当時にも本作は視聴していました。ただ、いろいろな長編アニメを見た今あらためて触れると、当時とはかなり違った印象を受けます。正直、かなり良かったです。見終わったあとの満足感は、『ふれる。』以上だったかもしれません。

本作は、ストーリー構成から登場人物の描き方まで、全体的にとても明快で“教科書的”な作品だと感じます。物語づくりのお手本のような要素が多く入っているので、今後ほかの作品を見るときも、『ここさけ』を基準に「どこが違うのか」を考えてみると面白そうです。

『空の青さを知る人よ』や『ふれる。』と比べると、本作は余白を残すというより、かなりはっきり結論を提示するタイプの作品です。人によっては、考察の余地や余韻の少なさを物足りなく感じるかもしれません。
ただ個人的には、そのぶん見終わったあとに変な引っかかりが残らず、後味の良い作品としてかなり好印象でした。

参考サイト