アニメ『かがみの孤城』感想|圧巻のストーリー構成と伏線回収
- のろ

- 2025年12月26日
- 読了時間: 6分

はじめに
本作は、辻村深月の小説『かがみの孤城』を原作とした劇場アニメ作品です。
監督は、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『カラフル』で知られる原恵一。
アニメーション制作は、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『心が叫びたがってるんだ。』などを手がけたA-1 Picturesが担当しています。
学校での居場所を失い、不登校となった子どもたちは、ある日鏡に導かれ、不思議な城「かがみの孤城」と出会います。
おとぎ話のような世界の中で描かれる彼女たちの成長と、孤城に秘められた謎を軸に展開する本作は、2022年12月23日に劇場公開されました。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
グリム童話とのつながり
オオカミさまがこころ達を「赤ずきんちゃん達」と呼んでいる点や、ルールを破ると“狼に食べられてしまう”という設定から、本作は序盤からグリム童話『赤ずきん』を想起させる構成になっています。
しかし、終盤で『狼と七匹の子ヤギ』が示されることで、物語は一転します。
表向きには『赤ずきん』をなぞっているように見せながら、裏では『狼と七匹の子ヤギ』の筋書きを踏襲するという、二重構造の仕掛けが潜んでいたことが明らかになります。
いずれの物語にも共通しているのは、「オオカミに騙されて食べられる → お腹から脱出する → 狼の腹に石を詰めて退治する」という流れです。
本作はこの共通シナリオを巧みに応用し、観る側に『赤ずきん』だと思わせつつ、実際には別の物語へと誘導するミスリードを成立させています。
時間軸のズレによる演出の上手さ
物語のラストで、こころ達はそれぞれ“異なる時間軸の世界”から、鏡を介して同一の時間軸である孤城に集められていたことが明かされます。
この前提を踏まえて物語を振り返ると、序盤から多くの場面にその伏線が散りばめられていたことに気づきます。
エピローグとして別視点で描かれる、喜多嶋先生とこころの出会いのシーンでは、「雪科第五中学校の生徒さんなのね。私もそうだったのよ」という喜多嶋先生の何気ない一言があります。
このセリフ自体が“時間軸のズレ”を示す重要なヒントになっており、さらに喜多嶋先生がこころに紅茶(ストロベリーティー)を贈る描写も加わることで、違和感に気づいた人もいたのではないでしょうか。
また、こころ達は「3学期初日に学校で会おう」と約束しながらも、結局その約束は果たされません。
その理由をマサムネが語るシーンでは、有名なゲーム開発プロデューサーとして「長久」という名前が挙げられます。
珍しい苗字にスバルが反応するものの、その場では深掘りされません。
しかしラストシーンで、スバル自身の姓が「長久」であることが明かされます。
さらにスバルが「僕、ゲーム作る人になるよ。だから自慢してよ」と語っていたことを踏まえると、有名プロデューサー“長久”とスバルが同一人物であることが示唆されます。
オオカミさまの正体
物語の終盤、オオカミさまの正体が、リオンの姉であるミオだと明かされます。
一見すると唐突にも思えるこの設定に、戸惑いを覚えた人も多かったのではないでしょうか。
しかし、この設定にもきちんと伏線が張られており、ミオがかがみの孤城の支配人となる動機は、物語の中で十分に描かれています。
ミオの生前、病室でリオンと二人きりで会話をする場面では、次のようなやり取りが交わされます。
ミオ「もし私がいなくなったら、神様に頼んで、リオンのお願いを何か一つ叶えてもらうね」 リオン「僕、姉ちゃんと学校行きたい」
かがみの孤城は、不登校の生徒たちが同じ場所に集い、時間を共に過ごす場であり、いわば「フリースクール」のような存在です。
つまりミオは、「姉と学校に行きたい」というリオンの願いを、かがみの孤城という居場所を創り上げることで叶えてあげたと解釈することができます。
7匹目の子ヤギは誰なのか?
本作のシナリオは、グリム童話『狼と七匹の子ヤギ』の物語構造を踏襲しています。
原作では、母ヤギが家を留守にしている間に7匹の子ヤギたちがオオカミに襲われます。
その中で、大時計の箱に隠れていた一番小さな7匹目の子ヤギだけが難を逃れ、後に母ヤギと協力して、オオカミの腹の中から兄弟たちを救い出す展開となっています。
これを踏まえると、本作では母ヤギを「こころ」、7匹目の子ヤギを「オオカミさま」に対応させて描いていると考えられます。
アキが孤城のルールを破ったことで、こころ以外のメンバーが狼に食べられた後、オオカミさまとこころは孤城の大時計の中で再会します。
その際、オオカミさまの服がボロボロになっている描写があり、これは彼女が狼に襲われたことを示す演出だと読み取れます。
大時計の中に身を潜め、耐え忍んでいた――原作の7匹目の子ヤギと重なると推察されます。
テーマともいえる不登校問題
本作では、登場人物の多くが不登校の児童として描かれており、現代社会が抱える問題に対して問いを投げかけるようなメッセージが込められています。
オオカミさまはかがみの孤城について、「時間さえ守れば何をしてもいい」と語っていますが、こころ達が自室の鏡を通して自由に往来している様子を踏まえると、かがみの孤城はインターネットのメタファーとして捉えることができます。
また、こころが不登校になった原因について、物語序盤では母親や担任をはじめとする周囲の大人たちが、真剣に向き合えていない様子が描かれます。
そんな中で、喜多嶋先生だけは「こころちゃんは毎日戦っているでしょ?」と語りかけ、こころの気持ちに寄り添いながら、絶対的な味方であることを明確に示します。
この姿勢こそが、こころが求めていた態度であり、子どもと向き合う大人の理想像だと言えるでしょう。
本作の中で特に印象に残った言葉として、引っ越しを控えたこころの友人・東条が、こころを不登校に追い込んだ少女に向けて放った次のセリフが挙げられます。
東条「成績も悪いし、ガキっぽいし、10年後も20年後もあのままだよ。きっとろくな人生送らないよ」
この言葉は感情的な罵倒ではなく、東条自身が状況を俯瞰し、自分の問題と相手の問題を切り分けたうえで発せられたものとして描かれています。
自分もまた仲間外れにされている立場でありながら、冷静な判断力と強い精神を保ち、物怖じしない姿勢を貫く――その在り方こそが、本作を通して示される一つの強さだと感じます。
さいごに
これまでに観てきた作品の中でも、群を抜いて完成度の高い作品だと感じました。
ストーリー構成は非常に複雑でありながら、随所に十分なヒントが用意されており、観る側が置き去りにされないよう丁寧に設計されています。
そのため、すべてを見終えたあとに不快感が残ることもなく、驚くほどの爽快な作品でした。
私は作品に明確なメッセージを求めるタイプですが、その視点で見ると、本作のテーマ自体は決して目新しいものではなく、強烈な主張があるわけではありません。
それでもなお、それを凌駕するほどの圧倒的な完成度こそが、本作最大の魅力と言えるでしょう。


