アニメ『バブル』感想|SF×アクション×恋愛の三位一体
- のろ

- 9月3日
- 読了時間: 6分

はじめに
本作は『進撃の巨人』や『甲鉄城のカバネリ』を手がけた荒木哲郎監督とWIT STUDIOの再タッグ作品です。
脚本は『魔法少女まどか☆マギカ』や『PSYCHO-PASS サイコパス』で知られる虚淵玄(ニトロプラス)が担当し、豪華布陣で制作されました。
舞台は重力が崩壊した東京。パルクールに興じる少年たちと、泡から生まれた少女・ウタの出会いを描く本作は、ダイナミックなアクションと幻想的なビジュアルが融合した、儚くも切ないオリジナル作品となっています。
2022年4月28日にNetflixで全世界同時配信され、同年5月13日には劇場公開も行われました。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
「人魚姫」との関連性
本作には随所に『人魚姫』を示唆する演出が散りばめられており、その関係性は明らかです。
人魚姫の原作であるアンデルセン童話『人魚の姫』のあらすじを簡単に振り返ると、次のようになります。
海に暮らす人魚姫は、地上の王子に恋をする。ある日、王子が海で溺れかけたところを彼女が救うが、王子は別の娘が助けてくれたのだと誤解してしまう。人魚姫は人間になるために海の魔女と取引を交わし、声を失う代わりに足を得るが、もし王子と結ばれなければ“泡”となって消えるという制約を課される。やがて人間となった人魚姫は王子と親しくなるものの、彼は別の娘との結婚を選ぶ。結婚式の夜、人魚姫は「王子を殺せば人魚に戻れる」とナイフを託されるが、愛する王子を手にかけられず、ついには泡となって消えてしまう。
作中でマコトが語るように、人魚姫の恋は成就せず、最後は泡となって消えるわけですから、素直に解釈すれば原作の展開は悲劇でしょう。
ウタとヒビキの出会い、そして終盤の展開を考えても、アンデルセンの原作から着想を得ていることは間違いありません。
ヒビキの聴覚過敏
東京で暮らす子どもたちの多くは、身寄りを失い、それぞれに辛い過去を抱えています。
ヒビキも例外ではなく、聴覚が過度に敏感であったために親に見放され、施設で育ったという背景を持っています。
この身体的な特徴は、物語の発端で彼だけがウタの歌声を聴き取れるという必然性を生み出しました。
ヒビキが持つ特異な聴覚こそが、多くの少年少女の中で唯一、ウタのハミングを認識できた理由であり、物語の設定に説得力を与えています。
また、アンデルセン童話では人魚姫が声を失いますが、本作では逆に王子役であるヒビキが音を遠ざけて生きている点が特徴的です。
「人魚姫が声を奪われた」のではなく、「王子が声を受け取ろうとしなかった」という新たな解釈が浮かび上がり、男女の関係性を現代的な感覚で描き直した皮肉にも読み取れます。
本作における「泡」の概念
“降泡現象”によって未知の力をもった泡が降り注ぎ、東京では爆発が発生しました。その影響で重力は乱れ、ライフラインは途絶え、爆心地の東京は立ち入り禁止エリアとなります。
この出来事が、物語の基盤となる重要な背景となっています。
泡の知的集合体が地球にやってきて、その中の1つの泡が意思を持ち、ある少年と恋をして……というプロット 出典:映画『バブル』オフィシャルサイト
この映画では泡が頻繁に登場しますが、象徴的な意味合いを持つというよりは、主にプロット上の装置として使われています。 出典:TheSmartLocalJapan 荒木哲郎監督インタビュー
タイトルにも掲げられていることからも分かるように、「泡」は本作における最重要のモチーフです。
しかし、公式サイトや荒木監督のインタビューを踏まえると、そこに特定のメタファーが仕込まれているというよりも、観客の興味を引きつける舞台装置として物語を組み立てる起点になった、と捉えるのが妥当でしょう。
もう一つのキーワード「渦」
冒頭の黄金螺旋のカットに始まり、作中の随所で「渦」というモチーフが繰り返し描かれます。
この「渦」という概念は、本作を単なる「アクション×恋愛」にとどめず、「SF作品」としての印象を与える大きな役割を果たしています。
物語の終盤には、次のような印象的なセリフが語られます。
崩壊と再生は繰り返す。 (中略) そしてまた渦を作って混ざり合い、やがて分かれる。 いつかこの世界が命を終え、地球が滅びたとしても、私たちはまた大きな渦の一つとなるのだろう。 だから、いつかまた会おう。
「渦」は本作において、宇宙規模での循環や統合、そして因果の収束を表すキービジュアルとして機能しています。そこには神話的な壮大さと、自然科学的な秩序が同時に存在しています。
「泡」と同様に、この要素自体に特定のメッセージが込められているというよりは、SF的なスケール感と秩序を視覚的に強調するための舞台装置として用いられていると推察されます。
調査船「令洋」
ヒビキが所属するパルクールチームの「BB」は、座礁した旧調査船「令洋(HL21)」を拠点に生活しています。
作中では「令洋」が何を意味するか語られませんが、そのネーミングと特徴から日本の実在する調査船がモデルだと推測できます。
実際、海上保安庁には大型測量船「平洋(HL11)」「光洋(HL12)」などが就役しています。船体番号から考えても、「令洋」はこの系譜に連なる架空の大型測量船と位置づけられるでしょう。
「平洋」は「平和な海・平穏な海」、「光洋」は「未知の海に光を当てる」という意味を持っています。
こうした命名慣習を踏まえると、「令洋」は「秩序ある海」あるいは「令和の時代の海」を象徴する意図が込められていると考えられます。
さいごに
多くの感想や批評で指摘されている通り、パルクールによるアクションシーンは圧巻です。映像としての完成度が非常に高く、「もっとバトルシーンを見てみたい」と感じた視聴者は少なくないでしょう。
ただ、作品にメッセージ性を求める私からすると、本作はやや掴みどころに欠けます。
「泡」「人魚姫」「渦」「恋愛」「アクション」といった要素が次々に提示されるものの、要素同時の繋がりや深掘りが弱く、全体として整理されていない印象を受けました。
制作陣からの一貫したメッセージはあまり感じられませんが、強いて意味づけをするなら「進み過ぎた科学へのアンチテーゼ」という読み取り方が可能かもしれません。
自然が存在してこそ秩序ある科学は成り立ち、人の手によって作られた概念は、やがて無へと回帰していく――そうした思想の断片が、この作品からは垣間見えます。


