アニメ『ジョゼと虎と魚たち』感想|普通ということの難しさ
- のろ

- 7月30日
- 読了時間: 8分
更新日:8月8日

はじめに
原作は、田辺聖子による短編小説『ジョゼと虎と魚たち』。2003年には実写映画化もされましたが、本作はそれとは異なる視点で描かれたアニメーション作品です。
制作は『僕のヒーローアカデミア』や『鋼の錬金術師』などで知られるボンズが担当し、監督は『おおかみこどもの雨と雪』で副監督を務めたタムラコータローが務めています。
2020年12月25日に劇場公開された本作は、夢を追いかける大学生と、車椅子の少女が出会い、互いに影響を与えながら成長していく姿を瑞々しく描き、多くの観客の心を打ちました。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
ジョゼという名前の由来
本作のヒロインであるクミ子は、自らを「ジョゼ」と名乗っています。
「アタイなあ、これから自分の名前、ジョゼにする」 ──出典:田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』 角川文庫, 1997年
というセリフが原作にもあり、フランソワーズ・サガンの小説に登場する人物を気に入ったため、ジョゼと自称するようになったことが明確に描かれています。
このジョゼが登場するサガンの作品は、以下の3作で構成され、「ジョゼ三部作」と呼ばれることもあります。
フランソワーズ・サガン(訳:朝吹登水子)『一年ののち』 新潮社, 1960年
フランソワーズ・サガン(訳:朝吹登水子)『すばらしい雲』 新潮社, 1968年
フランソワーズ・サガン(訳:朝吹登水子)『失われた横顔』 新潮社, 1978年
アニメ作品の中でも、以下のセリフが引用されており、サガン作品とのつながりは明白です。
人生から逃れる。他の人が人生と呼ぶものから、感情から、己の長所から、己の短所から逃れ、ただ何億という星雲の百万分の一の一時的な呼吸であればいいのだ。 ──出典:フランソワーズ・サガン(訳:朝吹登水子)『すばらしい雲』 新潮社, 1968年
私は彼から逃れる以外に何も望んでいなかった。それだけだった。考えてみれば、実は哀れな物語だった。 ──出典:フランソワーズ・サガン(訳:朝吹登水子)『失われた横顔』 新潮社, 1978年
原作との違い
原作小説では、恒夫とジョゼは両思いであり、新婚旅行にも出かけています。しかし、入籍はおろか親族にも関係を明かしておらず、曖昧な関係のまま物語が進みます。
恒夫はいつジョゼから去るか分らないが、傍にいる限りは幸福で、(中略)完全無欠な幸福は、死そのものだった。 ──出典:田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』 角川文庫, 1997年
ジョゼは、二人の関係を冷静に見つめており、前向きとは言い切れない異質な関係性に明確な答えを出さないまま、物語は静かに幕を閉じます。
実写映画では、原作が内包していた「別れの予感」を具現化し、恒夫とジョゼが結ばれなかった世界線が描かれます。
「愛していても一緒に生きられない場合がある」という現実が、重く冷たく表現されており、その解釈は原作に近い印象を受けます。
一方、アニメ作品では、これまでの演出とは一転し、二人が結ばれる明るい未来が描かれます。この結末は、原作とはやや距離を感じさせるものであり、違和感を覚える視聴者もいるかもしれません。
ただ、多様性がうたわれる現代社会において、こうした描き方でなければ成立しにくい側面もあり、時代に即した形で物語を再設計したとも捉えられます。
『ジョゼと虎と魚たち』という一つの物語が、1980年代・2000年代・2020年代という異なる時代にそれぞれ異なる結末で語られたという点だけでも、本作は十分楽しめる内容になっています。
綺麗に練られた物語構成
本作で私が最も印象に残ったのは、恒夫とジョゼの出会い方、そして物語の結論の導き方が非常に巧みだった点です。
出会いのシーンは原作に忠実で、ジョゼの車椅子が誰かに押されて坂を猛スピードで滑り落ち、それを恒夫が助けるという衝撃的な展開で始まります。
この際、恒夫が思わずジョゼの体に触れた手を噛まれるという描写があり、彼女の身体的な特徴はもちろん、勝気で気丈な性格であることもしっかりと伝わってきます。
これから、この二人を軸に物語が進んでいくことが明確に示され、ヒロインの個性までスマートに表現された、非常に完成度の高い導入シーンだと感じました。
物語の終盤では、この出会いの場面をなぞるように、再びジョゼの車椅子が坂を滑り落ち、それを恒夫が助けるという対比的なシーンが描かれます。
しかしこのとき、二人の関係性は大きく変化しており、同じ状況でありながら視聴者が受ける印象はまったく異なるものになっています。
さらに、原作から引用されたセリフも交わされており、原作への深いリスペクトが感じられる点も、個人的にとても好感を持ちました。
追加された設定の意図
原作にはなかった設定として、主に以下の2点が挙げられます。
恒夫の両親が幼い頃に離婚し、孤独を抱えて育ってきたという背景
恒夫が車にはねられて足を骨折し、 夢を諦める決断に迫られる展開
これらの追加要素は、原作とは異なるキャラクター像を形作っており、受け手によっては違和感を覚える人もいるかもしれません。しかし、本作で恒夫とジョゼが結ばれるという結末を描く上では、必要不可欠な補強であったとも解釈できます。
原作や実写映画において、恒夫とジョゼが結ばれなかった背景には、主に以下の要因が挙げられます。
障がいのあるパートナーに対する、世間からの圧力
障がい者と健常者の間にある、価値観や感覚のズレへの理解不足
このうち、「世間体」の問題については、現代ではある程度寛容になりつつあり、当時ほど強い社会的圧力を感じることは少なくなっています。
しかし、「価値観の違い」によるすれ違いは、時代を経ても簡単には解消されません。むしろ、当人が同じような経験を経てはじめて、互いを理解し合えるケースが多いのではないでしょうか。
こうした観点から、本作では恒夫自身にも「孤独」や「夢の挫折」という痛みを背負わせることで、ジョゼとの間に共感の土台を築き上げています。実際、入院中の恒夫は以下のように語ります。
「自分はもっと強いと思ってた。(中略)欲しいものに手を伸ばすのが、どれだけ怖いことか」
この言葉は、ジョゼへの理解不足の認知であるとともに、彼女の抱えてきた恐れや葛藤への理解に至ったことを示しています。
彼が「当事者」として傷ついたことで初めて、ジョゼの世界と対等に向き合えるようになったと読み取れる、非常に象徴的なセリフです。
「気持ちで負けるな」というシンプルなメッセージ
物語の序盤では、ジョゼは祖母に世話をされながら暮らしており、「外は恐ろしい猛獣ばかり」という祖母の考えから、外出を禁じられ、行動が大きく制限された生活を送っています。
ジョゼ自身も、猫に向かって「いいなお前は、好きな場所に行けて」とこぼす場面があり、現状への不満と閉塞感がにじみ出ています。
しかし、恒夫が世話をするようになってから、ジョゼは次第に外に出るようになります。やがて、いつものように「外は恐ろしい猛獣ばかり」と警告する祖母に対して、「外は怖いだけやないで」と反論するまでに変化していきます。
彼女の言動には自信と前向きさが現れ、閉ざされていた世界が徐々に開かれていく様子が丁寧に描かれています。
祖母が他界し、一人で暮らすことを余儀なくされたジョゼは、一時的に自信を失い、絵描きになるという夢を諦めようとします。
ジョゼ「ずっと届かんかった。もう何にも手を伸ばしたくない」 恒夫「なんでそんな悲しそうな顔してんだよ。好きなら諦めんなよ」 ジョゼ「健常者にはわからん」
夢を諦めようとするジョゼに、恒夫が引き留めようと語りかける場面では、出会ってから積み重ねてきた彼女の自信が揺らぎ、再びかつての消極的で皮肉な思考に戻ってしまっていることが見て取れます。
そんな中、恋敵である舞に発破をかけられたジョゼは、恒夫への想いを「気持ちの大きさは誰にも負けん」と語り、今度は夢を失いかけた恒夫を精神的に支えます。
この出来事をきっかけに、恒夫とジョゼはお互いをより深く理解し、最終的にはそれぞれの夢を諦めずに歩むという選択をします。
さいごに
これまで観てきた劇場アニメ作品の中で、本作が一番自分の好みに合っていました。どうやら私は、純愛を描いたハッピーエンドの物語が好きなようです。
本作は、原作とはかなり異なる解釈で描かれており、その点に違和感を覚える方も多いかもしれません。それでも、個人的には原作と実写版を含む3作品の中で、本作が最も心に響くメッセージを持っていたと感じています。
「境遇や価値観の違いは、相手を想う気持ちで乗り越えられる」というメッセージは、理想的すぎると感じる人もいるかもしれませんが、私はむしろそれこそが人生の本質なのではないかと思います。
作り手の伝えたかった想いや、原作へのリスペクトも随所に感じられ、とても満足度の高い作品でした。


