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100分de名著『平家物語』を観て感じたこと|おごりが招く結末

  • 執筆者の写真: のろ
    のろ
  • 2025年9月17日
  • 読了時間: 4分


はじめに

何となくNHKプラスをあさっていたら、100分de名著の2019年5月放送分『平家物語』が再放送されていたので、視聴してみました。


ちなみに本番組の概要は以下の通りです。

誰もが一度は読みたいと思いながら、なかなか手に取ることができない古今東西の「名著」を、25分×4回=100分で読み解く番組です。 出典:NHK公式サイト『100分de名著』番組概要

今回は、その『平家物語』の内容と、そこから私が受け取った教訓について簡単にまとめてみました。




『平家物語』とは

『平家物語』は、平清盛を中心に平家一門が栄華を極め、やがて滅亡へと至るまでの姿を描いた作品です。

史実をもとに構成されていますが、人物の描写や物語の演出には脚色が加えられており、分類的にはフィクションにあたります。




「おごり」は「悪行」という考え方

「祇園精舎の鐘の声」で始まる巻第一の冒頭には、「おごれる人も久しからず」という有名な言葉が出てきます。

国語の授業で習った記憶がある人も多いでしょう。


ここで示されている「どれほどの栄華を誇っても、いずれは滅びる」という思想は、『平家物語』全体を貫く根本的な価値観であり、最も重要なメッセージです。


「おごり」は「悪行」という考え方

謙虚さを失い、おごり高ぶった者は長くは続かない――本作は一貫して「おごり=最大の悪行」という普遍的な人間社会の真理を語り続けています。




平家の栄華と衰退

武家である平家は、当時の三大勢力である天皇家・貴族・寺社勢力との関係を巧みに立ち回り、三者をつなぐ“バランサー”として唯一無二の役割を果たしました。


やがて、平清盛は武家としては異例の太政大臣にまで上り詰め、平家は朝廷の要職を独占するようになります。

しかし、その過程で武家としての野心は薄れ、次第に貴族化。武士本来の強さを失い、地位や権力に基づくおごりが芽生えていきました。


さらに、源氏を軽んじる小さな出来事を発端に、多方面からの攻勢を受け、壇ノ浦の戦いで敗れ、滅亡へと至ります。




「悪行」の果てにある地獄

平清盛は、体が燃えるような高熱に襲われ、激しい苦しみの中で最期を迎えました。これは悪行を重ねた人間の象徴的な死に際とされています。

本来なら念仏を唱えれば成仏できるとされますが、清盛は遺言に「源頼朝の首を持ってこい」と言い残しました。

悔い改めることなく執念を抱えたまま世を去ったため、地獄へ堕ちたと語られています。


一方、平家を討つため挙兵した源義仲もまた、都へ進軍する過程で大きな武功を立て、平家を都から追い出すほどの勢いを見せましたが、その功績に慢心し、謙虚さを失っていきます。

おごり高ぶった振る舞いは人々の反感を買い、最後は源義経らに討たれてしまいました。

義仲は今井兼平の勧めで安らかに自害しようとしますが、馬がぬかるみにはまったところを雑兵に討たれ、念仏を唱える暇もなく命を落としました。

この結末は、彼もおごりという悪行の果てに地獄へ堕ちたことを象徴しています。


清盛と義仲、二人に共通するのは、最大の悪行である「おごり」

彼らは壮絶な最期を招いただけでなく、死後も地獄で苦しむ因縁となったのです。




相手を思いやる気持ち

一ノ谷の戦いで、若武者・平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実は、その首を取る瞬間に深い葛藤を抱きました。

それは、一度決めたことを必ず遂行するという「忠」の想いと、相手と一体化する気持ちである「恕」の想いとの狭間で揺れ動いたからです。


相手を思いやる気持ち

直実自身も親であり、源氏の武将としての責務を負っています。

「平家を滅ぼす」という「忠」と、「若い敦盛を討てば、その父はどんな思いを抱くだろう」という「恕」。その間で心を引き裂かれるような葛藤を味わいました。


「忠」と「恕」は、儒教の根幹をなす教えの1つです。

孔子は、この2つが衝突したときには「恕」を優先するべきだと説いています。




さいごに

『100分de名著』は、解説付きで理解しやすく、ストレスなく一気に視聴できました。

物語は読み手によって解釈に幅が生じる部分もあるため、番組内の解説を鵜呑みにするのではなく、一度原作も読んでみたいと感じました。


「おごり」というものは、さまざまな経験を積んでいくなかで、誰にでも少なからず生じるものだと思います。

だからこそ、定期的に自分を見つめ直し、周囲の反感を買わないように振る舞うことが、人間社会で必要なスキルだと改めて痛感しました。




参考サイト

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