科学との向き合い方。『メアリと魔女の花』解説
- のろ
- 6月21日
- 読了時間: 7分

はじめに
今回もNetflixをあさっていたら面白そうなアニメを見つけたので、見てみました。
原作は、イギリスの作家メアリー・スチュアートによる児童文学『小さな魔法のほうき』です。スタジオジブリと縁の深い「スタジオポノック」が制作を担当した本作は、2017年7月8日に劇場公開されました。
杉咲花や神木隆之介といった豪華な声優陣に加え、主題歌をSEKAI NO OWARIが手がけるなど、キャスティングの充実ぶりからも本作への期待の高さがうかがえます。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
メアリとシャーロットの関係
作中でメアリはシャーロットを「大叔母様」と呼んでいることから、その関係性は明らかです。
作品の序盤で、メアリは引っ越しの荷物を片付けています。その様子からシャーロットの家に来てから日は浅いことがわかります。
家政婦のバンクスが「まだお仕事が終わらなくて、こちらに来るのはもう少し先になるそうです」と発言していることから、夏休みの長期期間中に家を仕事の都合で留守にしている両親が、メアリをシャーロットに預けたと考えるのが妥当でしょう。
最初は慣れない土地と、退屈を紛らわせる手段の少なさから、メアリは居心地悪そうにしていました。
しかし、後の夕食のシーンでは、メアリの「でもやっぱり我が家が一番」という言葉に対し、シャーロットとバンクスが嬉しそうに微笑んでいる様子が描かれています。
これらの描写からも、彼女たちの関係は良好であり、シャーロットたちがメアリの存在を温かく歓迎していることが伝わってきます。
本作における魔法の概念
エンドア大学の校長・マンブルチュークが「電気も魔法の一つなんですよ」と語っているように、本作では“科学も魔法の一部”として定義されています。
大学では科学者のドクター・デイが教壇に立っており、変身魔法の研究にも携わっています。彼は「科学と魔法の発展は、数多の失敗の上に成り立っている」と語り、失敗をいとわない姿勢や道徳観の希薄さから、典型的な科学者像が垣間見えます。
また、マンブルチュークも変身魔法について「力を持たない者たちを、魔力を持つ存在に変える」と述べており、魔法に対して大きな信頼と期待を抱いていることがわかります。
このように、大学側の人々は魔法に対して過剰な信頼と欲望を抱いており、作品全体を通して「魔法=暴走する科学技術」という構図が描かれています。ファンタジー作品の体裁を取りながらも、現代社会における科学技術の在り方を風刺している側面が見受けられます。
メアリのコンプレックス
メアリはティブと初めて出会った際、「黒猫なんかに生まれて災難ね」と語りかけ、自身を投影するかのように同情の言葉をかけています。このとき、メアリは自分の容姿や性格に自信を持てず、「一生良いことなんか起こらない」と嘆いています。
霧深い森に入ろうとするメアリを引き止める中で、ピーターは「赤毛の小猿」と彼女を中傷します。自分でも気にしている容姿を揶揄されたメアリは、「私だって変わりたいと思ってるんだから」と怒りを露わにし、そのまま森の中へ入っていきます。
エンドア大学では、校長のマンブルチュークに赤毛を褒められたメアリが、嬉しそうに誇らしげな様子を見せる場面があります。
しかし後の展開では、次のような会話が交わされます。
マンブルチューク「無垢な子どもほど、変身させるのは容易い」 ドクター・デイ「その通り。何しろ魔法の影響をもろに受けてくれるからな」
このやり取りからも明らかなように、マンブルチュークの褒め言葉は、無垢なメアリを騙すための虚言に過ぎません。メアリの抱えるコンプレックスは、巧みに利用されたと解釈できます。
全ての糸を引いているマンブルチューク
ティブ、メアリ、ピーターの3人については、それぞれがエンドア大学にたどり着く過程が明らかです。しかし、禁錮室で実験材料として囚われていたギブについては、その移動経路が作中で明かされていません。
ゼベディやピーターの言動からも、ギブとティブが常に一緒に行動していたことは明らかです。また、メアリが魔女の花「夜間飛行」を1輪だけ森から持ち帰った際も、2匹は一緒に行動しています。
ところが、メアリが夜間飛行を持ち帰った夜、ティブが怯えた様子でメアリの部屋に飛び込んでくる描写を境に、ギブの姿は見られなくなります。そして翌日、深い霧に包まれた森の中で、ティブはメアリを箒のある場所まで導きます。ここで夜間飛行を使用したメアリは、ティブと共にエンドア大学へ向かうことになります。
メアリとティブが初めてエンドア大学を訪れた際、噴水前で校長マンブルチュークと握手を交わすシーンがあります。このとき、マンブルチュークがメアリの掌をじっと見つめる仕草があり、後に「その掌の印が何よりの証拠ですわ」と語っています。この描写は、メアリが夜間飛行を使用したことを大学側がすでに把握していたことを示唆しています。
校内を案内される場面でも、箒の授業を見学する際に、マンブルチュークは「拝見していましたよ、あなたの箒捌きを」と発言しています。これにより、大学側がメアリの接近過程を監視・把握していたことが明確になります。
さらに、ティブは禁錮室で中を気にするような行動をとっており、この時点でギブがすでに禁錮室に囚われていることが強調されます。
以上の描写を総合的に見ると、ギブは大学側に囮として利用され、ティブはその存在を感じ取って無自覚の案内役となり、メアリを大学まで導いたと考えられます。大学側としては、夜間飛行を所持しているメアリを確実に大学へ招き入れ、魔女の花を手に入れるための計画的な誘導作戦を実行していたと推察されます。作中の状況や言動から見ても、この誘導の主導者はマンブルチュークである可能性が極めて高いと言えるでしょう。
科学に対する思想の違い
作品の序盤では、シャーロットの家のテレビが壊れている描写があります。後に、若かりし頃のシャーロットが魔法(=科学)について「この世界には、私たちには扱いきれない力というものがある」と語る場面があり、シャーロットは科学に対して強い警戒心を抱いており、関心も薄いことがうかがえます。
一方で、マンブルチュークやドクター・デイをはじめとするエンドア大学の人々は、シャーロットとは対照的に、科学に対して過剰な信頼と欲望を抱いています。
物語の終盤、変身魔法の実験が失敗し、被検体となったピーターが暴走します。それを止めようとするメアリに対し、ドクター・デイは「魔力を持たない君が敵う相手ではない」と制止します。
しかし、メアリは「魔法なんていらない」と力強く言い放ち、自らの意志で行動を起こします。その結果、ピーターの暴走は静まり、事態は収束を迎えます。
最終的に、メアリは夜間飛行を「私にはもう必要ないの」と言って投げ捨てています。
この行動から、自身との向き合い方、そして科学に対する姿勢が、彼女の中で確立されたことが読み取れます。
さいごに
私は、スタジオポノックが本作の後に手がけた長編劇場アニメ『屋根裏のラジャー』を先に視聴しています。当然かもしれませんが、『屋根裏のラジャー』に比べると、全体的にジブリの影響が色濃く感じられます。
ジブリ作品は、緻密に作り込まれた世界観ゆえに、メッセージが見えにくくなることがあります。一方で、スタジオポノックの作品は、ジブリ作品に比べて表現が素直で、メッセージが分かり易くに伝わってくる印象を受けます。その点では、むしろジブリ作品よりも好感を持てる気がします。
本作のメッセージは、科学という素晴らしい概念が夢を現実に変える力を持つ一方で、多くの危険性も内包しているという点にあります。この魅力的なツールに対して、ただ受け入れるだけでなく、自らの意思をもって向き合うことの大切さを訴えているように感じました。