アニメ『さよならの朝に約束の花をかざろう』感想|別れと愛と母親
- のろ

- 7月2日
- 読了時間: 10分
更新日:8月8日

はじめに
今回もNetflixをあさっていたら面白そうなアニメを見つけたので、見てみました。
本作は、『あの花』や『ここさけ』など、数々の話題作を手がけてきた脚本家・岡田麿里が、自ら脚本・監督を務めた初の長編アニメ映画です。制作はP.A.WORKSが担当し、2018年2月24日に劇場公開されました。
壮大なファンタジーの世界観と、親子の愛を軸にした深い人間ドラマが融合した本作は、公開当時大きな反響を呼びました。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
イオルフの民とは
主人公マキアは、数百年の寿命を持つ種族「イオルフ」の一員です。
イオルフは布を織ることを生業とし、自らの人生の記憶や想いを織り込んだ布を「ヒビオル」と呼び、それを通じて営みを後世に伝えることを伝統としています。
彼らは、このヒビオルに刻まれた模様を“文字”として読み取ることができるため、人智を超えた神話的な存在として描かれています。
イオルフは、人間たちから「別れの一族」と呼ばれています。これは、彼らが長命であるが故に、関わる全ての人間との別れを経験せざるを得ない運命を背負っていることに由来します。
作中では、イオルフの長老ラシーヌが、「イオルフを出ることがあれば、(中略)誰も愛してはいけない。愛すれば本当の一人になってしまう」と語っており、彼女自身が幾多の別れを経験してきたことがうかがえます。
また、「イオルフ」という名称は「エルフ」を想起させます。長寿である点や、神秘的な存在としての立ち位置などからも、西洋の神話や伝承に着想を得た種族であることは明らかだと言えるでしょう。
マキアが母になる動機
マキアは、両親のいない孤児として描かれています。
同じイオルフの里に暮らす友人レイリアやクリムには帰るべき家族がいる一方で、マキアにはそれがなく、育ての親である長老ラシーヌに対しても「私は一人です」と孤独を吐露しています。
やがてイオルフの里が襲撃され、逃げ延びたマキアは、迷い込んだ森の中で、両親を失った人間の赤ん坊(エリアル)と出会います。母親は赤子を守るように腕に抱いたまま命を落としており、その腕の中で、赤子は状況もわからず懸命に泣いています。
その光景を前にしたマキアは、かつての自分と重ね合わせるように、思わずその子を抱き上げます。
この行動は、赤子に対する救済であると同時に、マキア自身の孤独から解き放たれたいという願いの表れとも受け取れます。
この場に居合わせたバロウも、その様子を「一人ぼっちが一人ぼっちと出会った」と評しており、マキアと赤子は、生きていくためにお互いに縋り合うしかなかったのだと解釈できます。
母親としての強さを体現するマキア
物語の序盤、マキアは自身に母親の記憶がないため、どう振る舞えばよいのか分からず、不安をミドに打ち明けています。
農場で飼っていた老犬オノラが死んだ際には、エリアルもいつか自分より先に死んでしまうという現実を突きつけられ、マキアは耐えきれずその場を逃げるように立ち去り、涙を流します。
しかし、後を追ってきたラングはマキアを以下のように諭します。
「順番なんてどうだっていいだろ。(中略)きっと母ちゃんってのは泣かないもんなんだ」
この言葉をきっかけに、マキアは一つの決意を固め、精神的に大きな成長を見せていきます。
その後、マキアは農場を離れ、素性を明かせないイオルフであること、そして子連れである事情から、職を得ることにも苦労を強いられます。
それでも彼女は母としての自覚を持ち、エリアルと交わした泣かない約束を守り抜きながら、困難な日々を乗り越えていきます。
やがてエリアルも思春期を迎え、マキアを「母さん」と呼ぶことが次第に少なくなっていきます。
マキアはイオルフであることを隠しているため、外見の変化がないことが周囲に悟られないよう、同じ土地に長く留まることができません。
一方で、成長するエリアルの姿は次第にマキアに近づき、外見上も親子という関係に違和感が生じていきます。
こうした状況の中で、エリアルも次第に自分とマキアに血縁がないことを察し、社会からの孤立や生きづらさへの苛立ちを募らせた結果、ある時マキアに「俺は、あなたのこと母親だなんて思ってないから」と思いの丈をぶつけてしまいます。
その後、ラングとの会話の中で、エリアルはマキアとの関係について以下のように語ります。
「いつも側に居てくれて、自分のために必死になってくれて…。そういう人を母親って言うんだと思っていたから、母さんって呼んでただけだ」
この言葉からも、たとえ血のつながりがなくとも、マキアはエリアルにとって確かに母親だったことが分かります。
女性としての強さを象徴するレイリア
冒頭のイオルフの里のシーンでは、レイリアが高い壁の上から水に飛び込む姿が描かれます。その際、彼女は「マキアもおいで、飛んでおいで」と無邪気に声をかけます。自由奔放で勇敢なレイリアとは対照的に、マキアはその高さに恐怖を感じ、飛び込むことができません。
時が流れ、王都で催されたパレードの場面では、マキアをはじめとするイオルフたちが、王子ヘイゼルの側室として囚われたレイリアの奪還を試みます。しかし、すでにレイリアは王子の子を身籠っており、「逃げられないもの」と、寂しげな表情でマキアに別れを告げます。
この時、逃げたマキアを追おうとしたメザーテ軍に対して、追いかけたらお腹の子を殺すと、レイリアらしい挑発で脅しています。その後、空を見上げて「私なら飛べる」と呟くレイリアの姿からは、かつての自信に満ちた表情が薄れ、哀しみがにじんでいます。
レイリアがメドメルを出産し、時が経った後の宮殿内の描写は、作中で彼女が最も自我を失っている場面です。
イゾルの冷静な言葉にも耳を貸さず、「どれだけあなたたちは私から奪うの」と嘆き、悲痛に叫ぶレイリアの姿は、かつての勇敢で誇り高い彼女とはかけ離れています。マキアや我が子メドメルに会わせてほしいと懇願する姿からも、彼女の心がどれほど追い詰められていたかが伺えます。
終盤、宮殿からの脱出を試みるクリムに対して、レイリアは娘であるメドメルに会わせてと訴えますが、クリムはその願いに応えようとはしません。最終的にクリムは心中を試みますが、イゾルによって阻止され、レイリアはメドメルのもとへ向かいます。
宮殿の屋上でついにメドメルと再会を果たしたレイリアは、自身を「じゃじゃ馬で男勝り」と表現します。マキアから「レイリア、飛んで」という呼びかけを受けて、屋上から身を投げる彼女の姿には、かつてのような自信と勇敢さが戻っています。
マキアは、エリアルの母として献身的に尽くし続けることで、他者のために生きる母の強さを体現しました。一方でレイリアは、自我を見失いかけながらも、信念を貫く女性の強さを象徴しています。
伝説の行く末
イオルフの里が襲撃され、王宮に囚われたレイリアは、たびたび宮殿内にあるレナトの飼育場を訪れるようになります。
彼女は、翼を持ちながらも逃げ出さないレナトの姿を見て、「弱虫」と皮肉を交えて語り、同じ囚われの身としての同情と憐れみがにじみ出ています。
イゾルとの会話の中で、レイリアはレナトの飼育場とヒビオルの塔が似ていると述べます。
これは単なる空間的な類似を指すだけでなく、自由を持ちながらその力を封じられた存在としての共通点に着目した発言だと読み取れます。
失うことを恐れて人間界から距離を置き、静かに生きることを選んだイオルフと、奪われることに慣れ、ただ従順に飼いならされているレナトの姿を重ね合わせた、比喩的な表現として受け取ることができます。
終盤、イゾルによって銃撃され、致命傷を負ったクリムは、このレナトの飼育場で息を引き取ります。これは運命に抗うことなく消極的に生き、そして終わっていった伝説上の存在としての象徴的な最期ともいえるでしょう。
対照的に、マキアやレイリアは自らの意志で運命に抗い、強さを示す生き方を選択しています。
このコントラストは、運命に屈する弱さと、立ち向かう強さを際立たせる演出として意図的に描いたと推察されます。
母から子へと受け継がれる思想
メザーテが陥落し、マキアが負傷したエリアルを膝枕しているシーンは、本作でもっとも印象的な場面のひとつです。
エリアル「あなたが教えてくれたんだ。優しさを、強さを、必死さを…。誰かを愛する気持ちを」 マキア「エリアルと出会ったとき、この子は(中略)私のヒビオルだって思ったの」
この場面で交わされるやり取りからも、2人の深い親子の絆が痛いほど伝わってきます。
その後、妻ディタと生まれたばかりの赤子に対面した際、エリアルは「育てていこう(中略)これから誰かを愛していくこの子を」と語ります。
マキアから教わった愛を、次の世代へと受け継ごうとする彼の姿に、多くの視聴者が心を動かされたことでしょう。
苦しさの中にある愛が何より美しい
メドメルとの再会を果たしたレイリアは、レナトに騎乗し、王宮の屋上から飛び去っていきます。去り際にメドメルへ「さようなら。私のことは忘れて(中略)ほんのちょっとの綻びよ」と、レイリアらしい言葉を残します。
この言葉には、母としての務めを果たせなかった自分への言い訳のような側面と、メドメルに一生の重荷を背負わせないための配慮という、二つの意味が込められているように感じられます。
やがて、レナトは雲よりも高い遥か上空へと到達し、地上のメドメルの姿も見えないほどの高さに至ります。そこでレイリアとマキアは、次のような言葉を交わします。
マキア「大丈夫。絶対に忘れないから」 レイリア「苦しくて、痛くて…でもこんなに美しい世界。忘れられるはずがない」
涙を流すレイリアに、マキアも深く共感を示します。
何ひとつ思い通りにいかない過酷な現実に直面しながらも、二人は希望を捨てずに抗い続け、その中で確かに美しい感情とも出会っていたことが伝わってきます。
物語のラストシーンでは、エリアルの最期を見届けたマキアが「私はエリアルを愛して良かったと思っています」と語ります。
育ての親であるラシーヌが語った意見とは対照的なこの言葉に対し、バロウは嬉しそうに「長老も笑うだろうよ(中略)苦しいだけじゃない別れを教えてくれたことが嬉しくてな」と言葉を返します。
このやり取りからも、ラシーヌやバロウはただ諦めてしまっただけで、本当は心の奥底で愛を求めていたことが伝わってきます。そして、そんな彼らだからこそ、諦めずに愛を貫いたマキアの強さを肯定しているように感じられます。
さいごに
岡田麿里監督の2作目『アリスとテレスのまぼろし工場』に比べると、本作はテーマ自体は明確でしたが、具体的な主張はやや弱く感じられました。
誰かに愛を注ぎ、尽くした経験がない人にとっては、本作に描かれる繊細な心理描写が少し伝わりにくいかもしれません。
個人的にもっとも心を打たれたのは、最期が近づいたエリアルが、顔を見せに帰ってきたマキアに「おかえり」と伝えるシーンです。
マキアが苦しみの中でも手放さなかった愛情が、しっかりとエリアルの中に根付いていたことがわかり、2人は十分に恵まれていたとは言えない人生の中で素敵な選択をしたんだなと強く感じます。
岡田監督による女性の描き方は、圧巻でした。
『アリスとテレスのまぼろし工場』でも、未熟な少女が子育てをするという設定が描かれていますが、これは単に監督の好みというより、もしかすると彼女自身のバックボーンや人生経験と深く結びついているのかもしれません。


