別れと成長の物語。『雨を告げる漂流団地』解説
- のろ
- 6月12日
- 読了時間: 6分

はじめに
今回もNetflixをあさっていたら面白そうなアニメを見つけたので、見てみました。
この作品は『ペンギン・ハイウェイ』『泣きたい私は猫をかぶる』に続く、スタジオコロリドの長編アニメ映画第3弾で、『ペンギン・ハイウェイ』の石田祐康が監督を務めています。
本作は、前作と同様にNetflixで独占配信され、さらに2022年9月16日から劇場公開もされています。
この記事では、ネタバレになる要素を減らすため、あらすじやストーリー展開などは詳しく説明しません。そのため、作品を視聴していないと、理解できない考察なども含まれます。予めご了承ください。
鴨の宮団地に執着する夏芽
夏芽は幼い頃、親元を離れて鴨の宮団地で暮らす航祐の祖父・安次に引き取られます。夏芽は安次のことを”やすじい”と慕い、「私にとってお父さん代わりだったのかな」という発言からも、血のつながりはないものの、二人の関係がいかに深く、そして大切だったかが伝わってきます。
しかし、鴨の宮団地は老朽化の影響で取り壊しが決まり、安次も病に倒れこの世を去ります。夏芽は、父親代わりの存在と、思い出が詰まった大切な家を同時に失うことになりました。小学6年生という多感な時期、実母との新生活や進学への不安など、拠り所を失った夏芽の心は、深い喪失感と孤独で揺さぶられたことでしょう。
こうした状況を考えると、解体工事が進む鴨の宮団地に忍び込み、かつて安次と過ごした部屋に居座ろうとする夏芽の行動も理解できる気がします。
大切な人と過ごした日々や、思い出の詰まった場所を失いたくないという強い執着が、夏芽を過去へと縛りつけてしまったわけです。
航祐と夏芽の関係
航祐も鴨の宮団地で育ち、幼少期には夏芽と多くの時間を共に過ごしていました。二人の関係は単なる友達という枠を超え、家族のように深い絆で結ばれていたことが、作品を通して感じられます。
安次が入院した際、航祐と夏芽は一緒にお見舞いに行きます。
落ち着いた様子の航祐とは対照的に、夏芽はもう安次に会えなくなるかもしれないという不安から、病室に入ることをためらいます。航祐はそんな夏芽を見かねて、ぶっきらぼうながらも励まそうと声をかけます。
「まあ、お前のじいちゃんじゃないんだし。そんなにビビんなよ」
しかし、当時の夏芽はその言葉を素直に受け止められず、二人の間には距離が生まれてしまいます。
その後、友人たちと鴨の宮団地に忍び込んで遊んでいた航祐は、安次の部屋で一人過ごしていた夏芽と出くわします。
航祐「じいちゃんはもうくたばってんのに、人の家に土足で上がったまんまで…お前、気持ち悪りぃんだよ」 夏芽「あんなに一緒に遊んで、一緒に暮らしたのに。そんなことよく言えるね」 航祐「俺ん家とお前は関係ねえだろ」
このやり取りからも、過去に執着する夏芽と、それを理解できない航祐の心の距離がうかがえます。
作品の終盤、嵐の中で沈みゆく団地に残った夏芽を助けに来た航祐は、初めて自分の感情を素直に打ち明けます。
「ここは立派なお前ん家だよ。でももう捨てていかなきゃいけないんだよ(中略)夏芽と一緒に居たいんだよ」
この言葉を受けて、夏芽はようやく心の拠り所を見つけ、現実を前向きに受け止められるようになります。
未熟が故に理解し合えない辛さ
夏芽は複雑な家庭環境で育ったこともあり、作中では航祐以外に自分の意見をはっきり主張する場面がほとんど見られません。
おそらく、自分が何かを言うことで周囲の状況が変わってしまうことを恐れ、つい他人の意見に合わせる癖がついてしまったのでしょう。
そんな夏芽の性格を煩わしく思っていた同級生の令依菜は、夏芽に対して「あたし、あんたのその作り笑い嫌い」とはっきり指摘します。
一見、ただ辛辣な言葉に聞こえますが、言いたいことがあるならちゃんと口に出しなよ、という助言にも感じられます。
また、本作の印象的なシーンとして、夏芽が皆から隠れて泣いている場面があります。
それに気づいた航祐は、夏芽を励ますために声をかけますが、夏芽はその優しさに甘えようとしません。会話の最後、夏芽は無理に笑ってみせますが、その笑顔はまるで助けを求めているようにも見えます。
令依菜や航祐のように、夏芽に手を差し伸べようとする存在はいますが、お互いがまだ未熟であるために、助け方も助けられ方もどこか不器用です。
決して理解し合えないわけではない者同士が、すれ違い続ける姿は、多くの視聴者の胸を締めつけることでしょう。
一番未熟である母・里子
作中、夏芽は右肘に大きな絆創膏を貼っています。
この絆創膏は、漂流世界から現実に戻ってくるまで一貫して描かれていますが、終盤のシーンでは描かれなくなります。おそらくこれは、夏芽の心の傷を示すメタファーとして意図的に描かれているのでしょう。
友達はともかく、同居している母・里子なら当然気づいてもよいはずです。しかし、作中でこの絆創膏に触れられることは一切ありません。
家庭内でも、家族である里子にさえ心配してもらえない環境で、夏芽が自分で絆創膏を貼ったのだと想像すると、里子の鈍感さや愛情の欠如に強い苛立ちを覚えます。
作品のラストシーンでは、心の拠り所を見つけ、前向きになった夏芽が母・里子と向き合う場面が描かれます。
母との距離感が分からず、「甘えてもいいの?」と尋ねる夏芽に、里子は優しく応じます。続けて、「じゃあお母さん、もう出前だめね」と話す夏芽の姿からは、ごく普通のありふれた日常生活への憧れが感じられます。
その一方で、それをきちんと与えてこられなかった里子の未熟さが痛烈に浮かび上がるシーンでもあります。
鴨の宮団地の精霊
作中に登場する謎の少年・のっぽくんは、自身でも「僕はこの団地と一緒なんだ。僕の居場所はここしかないから」と発言していることからも、鴨の宮団地の精霊的な存在であるとわかります。
のっぽくんの体が徐々に植物に侵食されていく姿は、まるで人工物に宿った自然霊(アニミズム)が自然へと還っていく過程のようにも見えます。日本古来の「すべてのものに魂が宿る」という思想を想起させ、団地という人工物と自然が一体化していくかのような印象を与えます。
さらに、本作は団地が海を漂流する物語でもあり、最終的には人工物さえも自然の一部として海という生命の源へと回帰していく運命にあることを示唆しているように感じられます。
さいごに
絵のタッチが繊細で分かりやすく、多くの人が好感を持てる作画だと感じました。
物語の大半の場面では、7人の子どもたちが常に登場して話が進みます。それぞれのキャラクターにわかりやすい個性があり、観ていて置いて行かれることはまずないと思います。キャラクターの思考や行動が一貫していて、違和感がない点も好感が持てました。
「団地が漂流する」というインパクトのあるアイデアは面白い一方で、作品全体としてはメッセージ性がやや弱いように感じました。私はどちらかというと作り手のメッセージを感じ取りたいタイプなので、今まで観てきた作品と比べると少し物足りなさを覚えました。
おそらく、本作のテーマは“思い出との別れ”だと思いますが、そのテーマにあった具体的なメッセージがもう少し前面に出てくると、より心に響いたのではないかと思います。